2016/03/08 12:38

NPO法人チェルノブイリ救援・中部の河田さんに、当ショップの賛同をいただきました。今週の金曜日で、東日本大震災から5年になります。このショップを立ち上げた時に、生産者の成田さんは、「収入よりも、福島の現状を知ってもらえる場を作ってもらえた事がありがたい」とおっしゃっていました。遠く離れた地に住む我々が、福島(フクシマ)を忘れず、共に生きる事が大切ではないでしょうか。
(外山)


福島で生きる人々を支援しよう
(NPO法人チェルノブイリ救援・中部 河田昌東)

「フクシマ」を忘れない
世界を恐怖に陥れた福島第一原発事故からもうすぐ5年になる。福島を一歩離れると東京や名古屋、関西に暮らす人々の生活は、事故直後の混乱期から見れば今は何事もなかったように淡々と過ぎていく。原発の電気がなくても暮らせた2年間を忘れたかのように、政府と電力会社は止まっていた原発の再稼働を急ぐ。この国では早くも「フクシマ」は過去の事になりつつあるかに見える。しかしそれは幻想に過ぎない。住み慣れた故郷を追われ、放射能から逃げまどい、親兄弟や近隣の友人とも別れ別れの暮らしを今も強制され続けている福島の人々への想像力の欠如の結果である。今も日々汚染と闘い、住み続けている人々の怒りや悲しみ、希望への願いなど、当事者にとって事故は5年経っても昨日のことのように蘇る。こうした、当事者と部外者の意識のギャップこそが問題の解決を阻む最大の壁である。E・V・ワイツゼッカー元ドイツ連邦大統領の言葉「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」を改めて思い出す。

共に生きる「福島」
 一方、福島の汚染の現実は地域により様々である。未だに年間20ミリシーベルト(mSv)を超える浪江町や大熊町、双葉町もあれば、郡山や南相馬は年間追加線量率が1mSv未満の面積が80%を超えるようになった。 汚染は場所によりまちまちであり、除染済みと未除染、平地と山間部でも違う。このように複雑な汚染を抱える福島を一口に「フクシマ」と片づければ風評と差別の拡大につながる。全ては測定による事実を基に判断しなければならない。福島で今も農業を続ける農家の多くは、生産物を自ら測定し出荷している。それが自らの身を守り、同時に生産者をも守ると認識しているからである。この5年間で農産物の多くは大幅に汚染が下がった。野菜の多くは今では検出限界以下(数Bq/Kg以下)が殆どである。原因は二つある。一つは半減期が2年のセシウム134が5年経って4分の1以下になったこと、更に、放射性セシウムは時間とともに土壌鉱物に固く結合し、水に溶けなくなった事である。植物は土壌中の水溶性セシウムしか吸収出来ない。また、農作物の場合、肥料としてカリウムや有機肥料をやる。これらがセシウムの吸収を妨げる。しかし、山菜やキノコなど野生植物は表土のカリウム不足で相変わらず汚染は続いている。こうした現実を見据えて消費者は「フクシマ」と共存しなければならない。それが、過去を忘れず、過ちを繰り返さない知恵である。